シンガーソングライター・大原ゆい子のスタッフ公式Xアカウントは6月10日、TVアニメ「無職転生III ~異世界行ったら本気だす~」のオープニングテーマについて、公式が公開したワンコーラスの音源をAIで無断フルコーラス化した動画がYouTubeなどに拡散しているとして、視聴と拡散を控えるよう呼びかけた。

問題の動画には大原本人の氏名もクレジットされていたが、「本人が歌唱・制作に関与した事実は一切なく、公式としていかなる許諾も出していない」と声明は明記している。所属事務所は今回の行為を「アーティストの権利を侵害する極めて悪質な行為」と位置づけ、「大変重く受け止めている」と表明した。


何が起きたか

「無職転生III」は2026年7月5日に放送開始予定のTVアニメ。大原ゆい子が作詞・作曲・歌唱を担当するOPテーマ「決意の唄」について、公式は事前に「ワンコーラス版」の音源を公開していた。

日本では放送前に楽曲の一部(ワンコーラス)だけを先行公開し、フルバージョンはリリース日まで公開しない、という形が一般的に取られる。その「未公開部分」——つまりBサビや2番など——を生成AIで補完し、フルコーラスに仕立てた動画が、本人クレジット入りで拡散していたことになる。

ITmedia NEWSの報道によると、AI再現音声を使って本人以外の楽曲を歌わせる「AIカバー」が問題になるケースは以前からあったが、「本人の楽曲の公開部分を利用し、非公開部分をAIに歌わせた上で本人クレジットまで入れる」という手口は珍しいとしている。


なぜこれが重要か

この事例が示すのは、AI音楽ツールの悪用が「他者になりすます」方向へ深化しているという点だ。

従来の「AIカバー」問題——たとえばあるアーティストの声で別の曲を歌わせる——は、「偽の声を使って別の曲を作る」行為だった。今回の手口はそれとは異なる。本人が本当に作った曲の、本人が本当に歌った音源を使って、本人がまだ公開していない部分をAIで埋める——つまり「本人の続き」を無断で生成し、あたかも完成品のように公開している。

本人の歌声・楽曲・名前が素材として使われているため、聴いたファンが「公式フル版が出た」と誤認する可能性がある。これはただの著作権侵害にとどまらず、アーティストのブランドや、楽曲のリリース計画そのものへのダメージにもなりうる。


論点と異なる見方

「本人の声で本人の曲を拡張しただけ」という言い訳が成立するかのように見えるが、法的にはそうではない。大原のスタッフ声明が指摘するように、著作者人格権(同一性保持権)の侵害と、氏名権・パブリシティ権の侵害が問われる可能性がある。

一方、「そもそも公式がワンコーラスだけ公開したことが問題を誘発した」という見方もあり得る。先行公開という慣行自体を見直す議論が起きるかもしれない。ただ、それはアーティスト側が被害を受けることを正当化しない。

また、今回の動画が実際にどのAIツールを使って作られたかは明らかになっていない。ボイスクローン系のサービスを使ったのか、音楽生成AIを使ったのか、あるいはその組み合わせなのか——現時点では「生成AI等の技術を用いたとみられる」という表現にとどまっている。


今後どう展開しそうか

今回の件が法的措置につながるかどうかは不明だ。声明は警告と拡散抑止の呼びかけに留まっており、動画削除要請やプラットフォームへの申告が進んでいる可能性はある。

より広い視点で見れば、アニメ楽曲の「先行ワンコーラス公開」という慣行は、AIツールが普及した現在、思わぬリスクを抱えるようになった。公式の部分公開が「AI補完の素材」として使われるなら、先行公開の形そのものを変える必要が出てくるかもしれない。

また、今回の事例は、AIによる音楽の侵害が「創作の代替」だけでなく「創作の横取り」に向かっていることを示している。業界全体としての対応が問われる局面だ。


作り手・聴き手への示唆

ファンとして「非公式だと知らずに視聴してしまっていた」という人もいるだろう。公式チャンネル以外からアップされた未発表楽曲には、今後一層の注意が必要かもしれない。

AI音楽ツールを使って創作している人にとっても、この事例は「AIで何が可能か」と「何が許されるか」の間にある大きなギャップを改めて突きつける。技術的に可能であることと、倫理的・法的に許容されることは、まったく別の話だ。


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