「最近参加したすべてのセッションにAIがある」——この言葉を口にしたのは、グラミー賞を主催するRecording AcademyのCEO、ハービー・メイソン・ジュニアだ。


何が起きたか

6月1日、The VergeのポッドキャストDecoderがRecording Academy CEO ハービー・メイソン・ジュニアとの対談を公開した。タイトルは「AI is blowing up music. How should the Grammys handle it?(AIが音楽を爆発させている。グラミーはどう対処すべきか?)」。

インタビューの中でメイソンは、AIが音楽制作の場でいかに「omnipresent(遍在する存在)」になったかを率直に語った。彼自身が最近参加したあらゆるレコーディングセッションにAIが入り込んでいる、と言う。

ストリーミング・プラットフォームDeezerの調査によれば、現在毎日5万曲以上の完全AI生成楽曲がアップロードされており、Deezerへの1日あたりの新着楽曲の34%を占めている。SunoはミュージシャンたちのCreative processに組み込まれるようになり、AIを使った曲づくりはもはや例外ではなくなっている。

その一方でRecording Academyのグラミー受賞規定は明確だ。「人間の創作性を含まない作品はいかなる部門においても受賞資格を持たない(A work that contains no human authorship is not eligible in any categories)」。


なぜこれが重要か

ハービー・メイソン・ジュニアは、ただの音楽業界のエグゼクティブではない。

ジャネット・ジャクソン、ビヨンセ、ブランディなど数多くのアーティストと組んできた伝説的なソングライター・プロデューサーだ。つまり彼の「すべてのセッションにAIがある」は、会議室で聞いた話ではない。スタジオで肌で感じた言葉だ。

現場を知っている人間が、同時にグラミーというルールを守る機関のトップを務めている。その彼が直面しているのは、「自分が毎日使っているものを、自分が管理するルールが認めない」というアイロニーだ。

AI普及を単なる外部の脅威として論じるのではなく、すでに制作の現場に食い込んだ実態として語っている点が、このインタビューを単純な「業界のAI懸念」記事と分けている。


論点・異なる見方

グラミーのルールは何を守っているか

Recording Academyの規定が「人間の創作性」を要件とすること自体は、音楽の価値を人の表現と意図に結びつけようとする姿勢として理解できる。

だが、その境界線は曖昧だ。

音楽技術・制作の教授でレコーディングエンジニアでもあるマーク・ベニンコーサは、The Conversationに寄稿した論考の中でグレーゾーンを具体的に列挙している。

  • ボーカルのバッキングにAIを使う → おそらく問題なし
  • ドラムパターンの「スウィング」をAIが加える → おそらく問題なし
  • AIがメロディと歌詞のサビを生成し、人間がヴァースを書く → ?
  • 上記のサビを人間が演奏する → ?

「人間の貢献が意味ある実質的なものであること」という規定は、原則としては明快だが、線引きの実務は判断を要する。Auto-Tuneが今では全ジャンルで普通に使われ、グラミーの障壁にもなっていないように、ツールの普及が規定の形骸化を進める可能性は十分にある。

97%が聴き分けられない、という事実の重さ

Deezerがフランスの調査会社イプソスと共同で実施した調査(2025年11月公開、8カ国9000人対象)では、97%のリスナーが完全AI生成の楽曲と人間の楽曲を聴き分けることができなかった

回答者の52%はこの結果に「不快感を覚えた」と答えた。人間が聴き分けられないとなれば、「人間の創作か否か」を証明する責任はどこに生じるのか。グラミーの審査が「申告制」である以上、提出時に「AIを使っていません」と申告すれば通る、という問題は避けられない。

Recording Academyが進める立法ロビー活動

一方でRecording Academyは、ルール内部の問題に留まらず、議会での立法活動にも踏み込んでいる。2026年4月に開催された「GRAMMYS On The Hill 2026」では、3つの法案を中心に据えたロビー活動を展開した。

  • NO FAKES Act: アーティストの声・外見・名前のAIによる無断複製を禁止し、連邦法上の権利として保護する
  • TRAIN Act: AIモデルの学習データについて、クリエイターへの開示を義務づける
  • CLEAR Act: AI生成コンテンツの透明性確保・ラベル付けを求める

「イノベーションは人間の創造性を犠牲にして進められるべきではない」——これがRecording Academyのメッセージだ。ただし、すべての立法がどの程度実効性を持つかは現時点で不明であり、議会の優先順位次第でもある。


今後どう展開しそうか

グラミー賞は今年、CBS放送からDisney/ABCに移行する。50年以上に渡るCBSとの関係を断ち、TikTok世代の若いオーディエンスにリーチしようとする戦略的な転換だ。

ただし、AIに積極的なZ世代(別の記事で報じたようにZ世代クリエイターはむしろ慎重だが)や新世代リスナーに向けてグラミーを開く動きは、「人間の創作のみ受賞資格」というルールとの緊張をはらむ。

何十万曲ものAI支援楽曲が毎年生み出されるようになれば、グラミーの審査は「除外」ではなく「分類」の問題に変わるかもしれない。既存カテゴリーの外に、AI活用楽曲専用のカテゴリーを設けるべきという議論はすでに存在する。メイソン自身は「その問いに答えるのが今の仕事で最も難しい部分だ」とも語っている(Billboard, 2025年)。


作り手・聴き手への示唆

AI音楽を作っている人間にとって、グラミーのルールは直接的な問題ではないかもしれない。受賞を目指しているミュージシャンは少数だ。

だが、このルールが象徴しているのは、「音楽の価値をどこに置くか」という問いだ。

グラミーが人間の創作を求める理由は、音楽に込められた意図・試行錯誤・選択を価値として認めているからだ。AIがその要素をどれだけ再現したとしても、「それが誰かの表現であること」という前提が崩れれば、賞として成立しない——という考え方だ。

AI音楽を使って何かを作っている人は、この前提に乗っているかもしれないし、乗っていないかもしれない。その判断は自分でする。ただ、「ツールが変わっても音楽の定義は変わらない」という立場を取るなら、「意図と選択があること」の説明責任は、作り手のほうにある。


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