「AIは奪わない、解放する」——パーキンソン病のミュージシャンがSunoとUdioで完成させたアルバム
ロンドンのアメリカーナ・シンガーソングライター、サミュエル・スミス(49歳)は2020年にパーキンソン病と診断され、ギターを演奏する能力を失っていった。そのスミスが新作アルバム『The Art of Letting Go』をSunoとUdioを使って完成させた。「AIは何も替えていない。解き放っているんだ」——その言葉の重みを考えてみたい。
ギターを弾けなくなった後も、曲は頭の中にある。メロディは聴こえる。和音の感触も、リズムの転がり方も。でも、指がそれに従わない。
サミュエル・スミス(49歳、ロンドン)が直面していたのは、そういう状況だった。
何が起きたか
スミスはアメリカーナを専門とするシンガーソングライターだ。2020年にパーキンソン病と診断され、進行性の神経障害によって手の震え・筋肉のこわばり・疲労が悪化し、ギターの演奏が次第に困難になっていった。2023年にデビューアルバム『In the Springtime』をリリースした後、セカンドアルバムの制作に取り組もうとしたとき、その困難はさらに深刻になっていた。
スミスが選んだのは、SunoとUdioを使ってデモ・アレンジメントを生成するというアプローチだった。
プロセスはこうだ。まずスマートフォンにラフなメロディをハミングで録音する。それをアップロードし、楽器編成・ムード・スタイルについて細かくプロンプトを書く。「50回、100回、150回と試行を重ねて」——スミス自身がそう語った数字が、この作業の密度を物語っている。生成された素材を徹底的に編集し、最終的なデモとして仕上げる。そのデモを元に、プロのセッションミュージシャンたちが実際のレコーディングを行った。
完成した2ndアルバム『The Art of Letting Go』はグラミー賞受賞ピアニスト、マット・ローリングスがプロデュース。ドブロ奏者のジェリー・ダグラス、バンジョー奏者のアリソン・ブラウン、ギタリストのジュリアン・レイジといった一流ミュージシャンが参加している。スミス自身も、スタジオでのごく短い演奏可能なウィンドウを捉え、インストゥルメンタル曲「Horizon」でギターデュエットを実現させた。
なぜこれが重要か
AI音楽ツールの話題は「誰でも曲が作れるようになった」という文脈で語られることが多い。それは正しいが、その「誰でも」の中に、病気や障害によって楽器演奏を奪われた人たちが含まれているという側面は、あまり注目されてこなかった。
スミスの事例が示しているのは、SunoやUdioが「作曲の代行ツール」としてではなく、「意図の翻訳ツール」として機能した、ということだ。頭の中にある音楽を、指で表現できなくなった後も、外に出す手段として機能した。
150回試行してプロンプトを書き直し続けるプロセスに、受動性はない。それは選択であり、判断であり、美意識の行使だ。ツールが変わっても、そのプロセスの本質は変わらない。
スミス自身はこう語っている。「AIは私にとって何かを替えているわけじゃない。解き放っているんだ、可能にしているんだ(AI is not replacing anything for me. It's unlocking, it's enabling)」
論点・異なる見方
AI音楽ツールの倫理問題は消えない
スミスの話を聞いて感動したとしても、SunoやUdioが学習データ問題を抱えていることは変わらない。著名ミュージシャンのティフト・マリットらが名を連ねた公開書簡では、著作権侵害や大量流通によるアーティスト収益の希薄化への懸念が示されている。スミスの使い方が誠実であることと、ツールの構造的問題は、別の話として扱う必要がある。
「良い使い方」は規範にできるか
スミスのケースは「AIが人の創造性を支援した好例」として機能している。しかし「障害のある人のためなら許容できる」という論理を単純に引き出すのも危険だ。音楽制作の動機や状況は多様であり、一つの感動的な事例が、ツール全体の正当化に使われないよう注意が必要だ。
アクセシビリティへの応用は進むか
音楽教育者のルアイドリ・マンニオンはこの事例についてこう述べた——AIツールは音楽制作の民主化に貢献し、障害のある人たちに特に恩恵をもたらす可能性がある、と。一方で、失敗と試行錯誤を通じた芸術的発展を損なうほどのツール依存には注意が必要だとも付け加えた。このバランス感覚は重要だ。
今後どう展開しそうか
スミスのケースが注目を集めることで、AI音楽ツールのアクセシビリティへの応用という視点が、業界内で議論されるようになるかもしれない。音楽療法士や医療専門家との連携を呼びかけているスミス自身も、この問題提起を意識している。
ただし、SunoやUdioが「障害者支援ツール」として設計されているわけではないし、今後そう再定義されるかどうかも不明だ。アクセシビリティへの応用はユーザー側の自発的な実践として積み重なっていく可能性の方が高い。
より大きな文脈でいえば、「AIで音楽を作る人はどんな人か」というイメージが変わりつつある。テクノロジー好きの若者だけでなく、病気、加齢、身体的制約を抱えた人たちにとって、AI音楽ツールは「表現の補助具」になり得る。その事実は、ツールをめぐる倫理的な議論に、新たな層を加えている。
作り手・聴き手への示唆
SunoやUdioを使って音楽を作っている人の中には、「自分は本当に音楽を作っているのか」と自問する人もいるだろう。スミスの事例はその問いへの一つの答えを提示している。150回プロンプトを書き直すことも、セッションミュージシャンへの意図の伝達も、「アーティストとしての仕事」だ。
聴き手の側から見ると、『The Art of Letting Go』に参加しているジェリー・ダグラスやジュリアン・レイジは、世界トップクラスの演奏家だ。AI生成デモを出発点にしながら、最終的な音楽は完全に人間の演奏で構成されている。「これはAI音楽か人間の音楽か」という問いが、もはや意味をなさない形になっている。
ツールが変わっても音楽の定義は変わらない、とRezは思っている。この話はその実例だ。
ソース
- AP通信: "AI helped a musician with Parkinson's finish his new album when he could no longer play guitar" (2026-05-30): https://abcnews.com/International/wireStory/ai-helped-musician-parkinsons-finish-new-album-longer-133441369
- NBC Chicago: "AI helped a musician with Parkinson's finish his album" (2026-05-30): https://www.nbcchicago.com/entertainment/entertainment-news/ai-helped-musician-parkinsons-finish-album/3942266/