先週、アイルランドの実験音楽作曲家ジェニファー・ウォルシュ(オックスフォード大学作曲学教授)が『アイリッシュ・タイムズ』にオピニオンを寄稿した。タイトルは「AI音楽は業界のオゼンピックになった。誰もが使っている」。

きっかけは小さなSNS騒動だった。

何が起きたか

インスタグラムのアカウント @ashleighjamz が、学校の「ママ友グループLINE」を模したフィクション・テキストを動画にしてバイラルした。架空の「Michelle」がお弁当へのオレオ持参を禁じようとする話だ。「#オレオゲート」と呼ばれたこの騒動は、GMAやBusiness Insiderまで報道し、動画の一本目はInstagramで1270万再生を記録した。

注目すべき点は音楽だ。@ashleighjamz は Sunoのパートナー(有償) として、テキストを高カロリーなブロードウェイ風コメディ曲にリアルタイムで変換した。ウォルシュが引用するのはフランスの映画理論家ミシェル・シオンの「付加価値(added value)」概念だ——映像に音楽が乗ることで、感情の主導権は音楽側に移る。あの動画が刺さったのは台本の面白さではなく、音楽が作り出した感情的質感だった、とウォルシュは言う。

では、この「最もバイラルなSuno生成コンテンツ」を作ったのは誰か。ミュージシャンではなく、インフルエンサーだった。

なぜこれが重要か

ウォルシュが記事の中で引用するのは、Suno CEO ミキー・シュルマン自身の言葉だ。シュルマンは今年初め、ガーディアン紙に対してこう述べていた。

「Sunoは音楽業界のオゼンピックだ——誰もが使っていて、誰も話したがらない」

オゼンピックは周知の通り、肥満治療薬として爆発的に普及しながら、服用を公言する人が少ない薬だ。「効果は認めるが、使っていると言いにくい」という二重性がある。シュルマンはそれをSunoに重ねた。

Sunoには現在、有料サブスクリプション加入者に商用権が自動付与される仕組みがある。トラックをダウンロードし、外部に投稿する際にSunoを使ったと開示する義務はない。ユーザーが実際に何人いて、どんな文脈で使われているか——Sunoには把握の手段がほとんどない。

同社の数字はこうだ:ユーザーは1日700万曲を生成する。2週間でSpotifyのカタログ全体と同量の音楽が生まれる計算になる。企業評価額は54億ドル。

論点・異なる見方

ウォルシュの視点で興味深いのは、「AI音楽=音楽の問題」という枠組みを外していることだ。彼女が問うているのは、音楽がショートフォーム動画のエンゲージメント最大化装置として機能し始めたとき、何が起きるかという問いだ。

Suno側の立場は明確だ。CEOは「音楽がより多くの人の生活でより大きな意味を持つ未来」を使命として掲げる。作り手を増やすという思想は一貫している。

一方でウォルシュの観察は別の現実を示す。Sunoが生んだ最も大きなバイラル現象は、音楽を「作りたかった」人ではなく、コンテンツの感情的吸引力を高めたかったインフルエンサーによって生まれた。プラットフォームの普及が、意図されていなかった方向でも進んでいる、ということだ。

今後どう展開しそうか

「誰も話したがらない」という現象は、ディスクロージャー(開示)の議論に収束していく可能性がある。EU AI法は8月から施行されており、AI生成コンテンツへのラベル義務化の圧力は高まっている。ただし実際の執行や検出技術がどこまで追いつけるかは不透明だ。

より根本的な変化は静かに起きているかもしれない。音楽がコンテンツの「付加価値」として消費されていく構造が進むなら、「誰が作ったか」よりも「どんな感情をどんな速度で生成できるか」が評価軸になる。それはSuno的な世界観の完成であると同時に、作り手にとっての問いの立て直しでもある。

作り手・聴き手への示唆

ウォルシュのオピニオンが刺さるのは、批判でも礼賛でもないからだと思う。「皆が使っていて誰も語らない」状況の地図を静かに描いている。

オゼンピックの比喩は、AI音楽が「効果があるから広まる」という現実を肯定しつつ、「なぜ沈黙するのか」という問いを残す。その沈黙の理由がアーティストとしての矜持なのか、マーケティング戦略なのか、単なる無意識なのか——それを考えることは、今自分がどこに立っているかを確かめる作業でもある。


Source: Jennifer Walshe: AI music has become 'the Ozempic of the industry'. Everyone is on it — The Irish Times (2026-10-09)