ケリー・クラークソンが10月初旬、コメディアンのマット・ロジャースとボーウェン・ヤンが司会を務めるポッドキャスト「Las Culturistas」に出演し、AI音楽についての見解を語った。その内容が音楽業界で広く話題になっている。

何が起きたか

クラークソンが述べたのは、要約すれば「AIは歓迎するが、人間と同じ土俵で競わせるな」という立場だ。

「私はAIが大好き。物議を醸すかもしれないけど、気にしない」と前置きしたうえで、こう続けた。「アーティストとしても楽しんでいるし、みんなと同じようにAIで遊んでいる。でもAIアーティストが人間と同じチャートで競っているのを見ると、問題があると思う。別チャートにすべきだと思う」

続けてこう例えた。「オリンピックでロボットが人間と競うようなもの。どっちがより遠くに投げるか?言わなくてもわかるよね」

その一方で、AIを否定しているわけではないことも強調した。「AIはもうなくならない。科学的にも素晴らしいことが起きている。でも、人間らしさを失ってはいけない。その両方への需要が共存できるはずだ、ということが言いたい」

なぜこれが重要か

チャートをめぐるAI音楽の扱いは、各国で議論が続いている。オーストラリアのARIAチャートはAI生成楽曲を除外する方針を打ち出し、フランスのSNEPも独自の基準を設けた。一方、Billboardは現時点でAIアーティストをチャートから排除していない。

2025年9月にはAIアーティストの「Xania Monet」がBillboardチャートに初めてランクインし、その後300万ドルのレコード契約を結んだ事例もある。こうした実績が積み重なる中、「同じ土俵で競うべきかどうか」という問いは、ますます避けられなくなっている。

クラークソンの発言が注目されるのは、彼女が「AI反対派」として語っているわけではないからだ。「AIは大好き」と明言したうえで、同じ基準で評価することへの違和感を示している。この立場は、AI肯定派・否定派という二項対立では捉えきれない。

論点・異なる見方

「別チャート」論には、賛否両方の根拠がある。

賛成側の論理は、競争環境の公平性だ。人間のアーティストは数年〜数十年かけてスキルを磨き、楽曲を制作する。AIはプロンプト数分で無限に生成できる。ストリーミング再生数という指標だけで並べれば、量産的なAI楽曲が人間の作品を数字上で圧倒する可能性がある。

反論もある。「チャートは聴衆の選好を反映するもの」という前提に立てば、リスナーがAI楽曲を好んで聴いている事実を排除することは、チャートの意義そのものを問い直すことになる。また、どこまでがAI生成でどこからが人間の作品かという境界線は、今や曖昧さを増している。

今後どう展開しそうか

個々のアーティストの発言が注目を集めながら、業界や各国の規制当局がより具体的なルール設計に向かいつつあるのが現状だ。「別チャート」は議論としては整理しやすいが、実装面では「何をもってAI楽曲と定義するか」という問題が先に解決される必要がある。

RIAAとIFPIが推進する「AI生成」「AIアシスト」の二段階ラベリング案が浸透すれば、チャート上の分類も技術的には可能になる。ただし、主要プラットフォームや権利団体の合意形成はまだ途上だ。

作り手・聴き手への示唆

チャートは評価指標の一つに過ぎない。プロのミュージシャンにとっても、AIで音楽を楽しむ人にとっても、「チャートで何位か」が唯一の価値の尺度ではないはずだ。

ただ、クラークソンが「人間らしさを失ってはいけない」と言ったときに込めていた意味——音楽を通じて人間と人間がつながること——は、AI音楽が広がる時代でも問い続ける価値がある問いだと思う。


Sources: Variety / Consequence of Sound