「AIは楽器の子孫」──菊地成孔がWIRED.jpで語る、音楽生成AIを「正しく怖れない」ための視点
音楽家・文筆家の菊地成孔がWIRED.jpの前後編インタビューで、AI音楽を「楽器の子孫」として捉える独自の視点を展開。「A専/M専/N専」という分類や、テクノポップとAIの関係性をめぐる考察が注目を集めている。
音楽家・文筆家・音楽講師として長年活動してきた菊地成孔が、WIRED.jpの前後編インタビューで「AI × 音楽」についての見解を詳細に語った(8月3日公開、前編)。
「AIによって〈テクノポップ〉は遂に完成する」という挑発的なタイトルを掲げたこのインタビューは、単なるテクノロジー論にとどまらず、楽器の歴史・著作権の構造・日本の音楽コミュニティの分断まで踏み込んだ内容となっている。
何が起きたか
WIRED.jpが、2026年3月と6月の二度にわたるインタビューをもとに、菊地成孔の「音楽生成AI論」をまとめた前後編を公開した。前編では主に3つのテーマが展開される。
① AIは楽器の子孫である
菊地は音楽生成AIを「怪物でも何でもなく、シンセサイザーやサンプラー、MIDIと同じ『楽器の子孫』だ」と位置づける。自身は音楽専用のAI(SunoやUdio、IrcamのO-MAX)しか使っていないことを明示しつつ、「AGIへの恐怖とは一度切断して考えるべき」と主張する。
② A専・M専・N専という分類
菊地が提唱する独自の分類は、AIが登場したことで音楽制作を始めた「A専」、生楽器を弾けないがMIDI(DAW)だけで楽曲をつくる「M専」、生楽器を中心に活動する「N専」の三種類。この分類は、AIをめぐる議論が「誰にとってのAIか」を混同しがちな現状を整理するための試みだ。
③ なぜ音楽AIだけが「許されない」のか
サンプラーもDJカルチャーも最初は拒絶されながら受容されていった、と菊地は指摘する。音楽AIへの特異な忌避感の背景として、「ProToolsの歴史が不当に軽視されてきたこと」が「裏鍵」になっていると述べる。
なぜこれが重要か
AI音楽をめぐる日本語の言論は、賛成か反対かの二項対立に陥りがちだった。菊地の発言はその構図に収まらない。「体質と直感」に基づいて新技術を取捨選択してきた彼が、SunoやUdioを実際に使いながら語っている点が、評論家的な外部視点とは一線を画する。
「テクノポップが完成する」という表現も刺激的だ。YMOが示した「人間が機械のように演奏する」という美学は、ある意味で未完のままだった。AIが「プロンプトに応答して音楽を自律生成する」ことで、その理想がようやく実現されるのではないか、という見立てだ。
菊地自身の音楽キャリア──MIDIを使わずProToolsを使い倒し、複数の演者が互いの演奏を聴かずに録音した素材を編集合成した『デギュスタシオン・ア・ジャズ』──と、初期AIのハルシネーション効果を重ねて語る部分は、抽象論ではなく実践者の言葉として読める。
論点・異なる見方
このインタビューが強調する「分節化」(音楽AIをAI一般から切り離して議論する)は有効な方法論だが、批判的な立場からは「現実の問題はそう切り分けられない」という反論もあり得る。たとえばSunoやUdioの学習データをめぐる訴訟は、音楽AIだけの問題ではなく画像・テキスト生成AIとの連続した法的論争の一部だ。
また「A専」という分類は、AIで初めて音楽制作を始めた層への理解を示すものとして肯定的に読めるが、一方で「生楽器が弾けない人々の手段」というニュアンスをどう扱うかは繊細な問題でもある。
今後どう展開しそうか
後編(公開予定)では「著作権は『権利ビジネス』」という観点や、テクノポップとAIの関係性がさらに掘り下げられるとみられる。菊地ほどの知名度と論客性を持つ音楽家がAI音楽に対して肯定的・批評的に関与することは、この議論の裾野を広げる効果があるだろう。
作り手・聴き手への示唆
「音楽用AIについて語ることは、AIではなく音楽を語ることになる」──菊地のこの一言は、Rezonate Magazineが繰り返し主張してきたことに重なる。テクノロジーの話に見えて、音楽とは何か・誰のものかを問う話だ。
「A専」という言葉が示すように、AIで初めて音楽を作り始めた人々は確実に増えている。その人たちが音楽シーンとどうつながるのか──それを考えるうえで、菊地の「楽器の子孫」という視点は、煽りでも否定でもない落ち着いた足場を与えてくれる。