AIが生成する音楽の多くは、「それっぽく聴こえること」を目標にしている。Sunoが歌詞を入れれば曲が出てくるように、ほとんどのAI音楽ツールはいかにして「まともな音」を出すかを競ってきた。

Engramはその逆を向いている。

音楽スタートアップのThoughtful Thingsが9月27日にKickstarterでキャンペーンを開始したEngramは、サンプラーとグルーブボックスを合わせた機材だ。AIが入力音声を「壊す」ことで、奇妙でグリッチーな新しい音を生み出す。ファウンダーのEvan Kingは、Engramを「潜在空間のフィールドレコーダー」と表現する。

何が起きたか

Engramはインターネットに接続しない。オンデバイスで「タイニーAI」と呼ばれる小さなモデルを走らせ、入力した音声をリアルタイムに変換・ハルシネートする。

キャンペーン動画でKingは自分の声で「ピアノ」と語りかけると、Engramはグリッチまみれのピアノもどきを返す。その不完全さが狙いだ。

学習データについては、「CC-BYなど商用利用可能なライセンスのオーディオのみを使用しており、非商用・海賊版・著作権侵害データで学習したことはなく、今後もしない」とKickstarterのページで明言している。また、ファームウェアをオープンにして他者が改造したり独自モデルを読み込んだりできるようにする計画も示した。

価格は早期割引で675ドル(30%引き)。小売価格は850〜900ドル前後になる見込みだ。

情報源:The Verge

なぜこれが重要か

「AIが音楽の定義を変える」という議論は多いが、その多くは生成品質や著作権をめぐるものだ。Engramが面白いのは、AIの失敗——ハルシネーション——をわざと引き起こしてそれを素材にするという発想にある。

これはサーキットベンディング(電子機器を意図的に誤作動させて音を作る手法)の思想と地続きだ。Korg Kaosspadがエフェクターとして登場したのと同じように、AIの「壊れ方」を楽器に変換しようとしている。

Sunoが「誰でも曲を作れる」インターフェースを目指しているとすれば、Engramは「AIと一緒にノイズを掘り下げたい人」向けだ。ターゲットは明確に実験音楽・電子音楽のプロデューサーやサウンドデザイナーだ。

論点・異なる見方

Engramが示すポジションは、いまのAI音楽論争とは少しズレたところにある。

学習データの透明性を明示し、商用ライセンス素材のみと断言するのは、SunoやUdioへの訴訟が続く業界環境への意識があるだろう。ファームウェアをオープンにする方針も、モデルの独占への反発と読める。

ただ675ドルというプライスポイントは、すでに音楽制作の環境を持つプロ・セミプロ向けであり、大衆化というより実験コミュニティへのリーチだ。クラウドファンディングが無事達成されるか、量産フェーズで音質・安定性をどう担保するかは未知数。

今後どう展開しそうか

Engramが成功すれば、「AIの壊れた部分を活かす」というアプローチが一つのカテゴリーとして確立される可能性がある。ノイズミュージック・グリッチエレクトロニカの文脈でのAI活用は、これまでほぼ語られてこなかった。

オープンファームウェアが実現すれば、コミュニティによるモデル改造・共有というエコシステムが生まれるかもしれない。それはハードウェアシンセのModular文化に近い動きだ。

作り手・聴き手への示唆

AIを「よりよいものを楽に作るためのツール」として見るか、「自分の音楽語彙を拡張するための素材」として見るか——Engramはその後者の問いを投げかけている。

ハルシネーションを失敗として処理するのではなく、そこに固有の美意識を見出す。それはAIとの付き合い方の一形態として、今後もっと語られるべきだと思う。