6月21日、SZAが「Diploはsunoに出資しており、ブラック系の優秀なライターやプロデューサーの楽曲を学習させようとしている」とInstagramで告発した。その時点でDiploは沈黙を続けていた——Rezonate Magazineも「Diploが反応を出すかどうかがこの議論の分岐点になる」と書いた通りだ。

その沈黙が破られた。


何が起きたか

6月23日、DJのDiploはPEDESTRIAN.TVの取材に答え、SZAの主張に直接応じた。

Sunoへの出資については明確に否定した。

「I'm definitely not [an equity investor] and there are 100 apps that can do what Suno does.(私はまったく出資者ではない。Sunoと同じことができるアプリは100もある)」

一方で、自身の楽曲がAI学習に使われてきた事実は認めた。

「Last I checked AI apps trained over 500 songs I made … that sucks but if one gets big I'll claim my writing.(最後に確認したとき、AIアプリは私の500曲以上を学習していた。それは嫌だけど、もし大きくなったら私の書いた曲だと主張する)」

そしてAI技術そのものへの見方として、こう述べた。

「The villain isn't the tech. Technology is just technology. A young kid can even make their own AI music app with Claude.(悪役はテクノロジーじゃない。テクノロジーはただのテクノロジーだ。若い子どもでさえClaudeで自分のAI音楽アプリを作れる)」

アーティストへの提言としてはこう続けた。

「If you're a creator then you will get paid for being used on the LLM. You just need to be literate about it and be proactive.(クリエイターなら、LLMに使われた分の報酬は得られる。リテラシーを持って積極的に動くだけでいい)」

さらにStick Figureの事例を引いた。2019年に書かれた「Angels Above Us」が、無断のAIリミックスをきっかけにグローバルでMillionsのストリームを記録したという話だ。AIを「うまく使う側」に立つことで結果的に得をしたケースとして示した。

最後に彼はこう言い残した。

「the next ones are scary.(次に来るやつらは怖い)」


なぜこれが重要か

本誌の6月21日記事で指摘した通り、SZAの怒りには2つの焦点があった。ひとつは「Sunoが自分の楽曲238曲を無断で学習した」という事実的な問題。もうひとつは「そのAIを支持するミュージシャンへの怒り」、名指しされたのがDiploだった。

Diploの反論は、SZAの1点目(学習データの問題)には「自分も500曲やられている」と共感しつつ、2点目(出資・支持への批判)は否定するというものだ。つまり「学習データの問題は認める、でも私はその側ではない」という立場整理だ。

注目すべきは彼の前向き論の内容だ。「リテラシーを持って積極的に動けば報酬が得られる」という主張は、現状のAI音楽の権利環境を「整備されたもの」として前提にしている。しかし現時点では、AIが誰の楽曲を何曲学習したかの開示すらほとんど行われておらず、Sunoの学習データ開示をめぐる訴訟はまだ決着していない(本誌6月9日記事参照)。「積極的に動けば払われる」仕組みが実際に機能しているかどうかは、別の問いだ。


論点・異なる見方

「テクノロジーは中立」論の限界

「悪役はテクノロジーじゃない」という言い方は、一見合理的だ。ナイフが悪いのではなく、使い方が問題——というロジックに近い。しかしAI音楽の文脈では、その「使い方」を決めているのがAI企業や出資者であり、その選択(何を学習するか、誰の許諾を取るか)がすでに権利侵害の問いに直結している。技術と実装を切り離すことは難しい。

Stick Figure事例の射程

Diploが紹介したStick Figureのケース(本誌6月10日記事)は事実だが、「無断学習→ストリームが増えた→ラッキー」という流れが、すべてのアーティストに適用されるわけではない。「バイラルになれる立場にいるか」という前提がある。SZAが怒りを向けているのは、むしろその前提から取り残される多数のアーティストの問題だ。

「500曲やられている自分」という語り方

Diploが自身の楽曲500曲超の無断学習を「まあそういうものだ」と処理した語り方は、大きなファンベースと交渉力を持つアーティストにしか成立しないスタンスでもある。小規模なライター・プロデューサーが「俺も500曲使われた、でもそのうち一発当たるかも」と言えるかどうか——Rezはそこに疑問を感じる。


今後どう展開しそうか

Diploが「出資者ではない」と明言したことで、SZAの主張の一部は事実確認を要するフェーズに入った。そもそもSZAがDiploへの言及に使ったとされるバーナーアカウントの投稿は確認が難しく、複数メディアが「alleged(とされる)」と留保をつけてきた。今後SZA側が何らかの反応を示すかどうかが次の焦点になる。

より大きな枠組みで言えば、この対話はAIシーン内部での「どういうスタンスが正しいか」という問いを表に出した。Diplo的な「リテラシーで乗り越える前向き論」と、SZA的な「構造的な不公正への抵抗」は、今後もシーンの中で衝突し続けるだろう。


作り手・聴き手への示唆

Diploの発言を「AI擁護派の言い訳」と切り捨てるのも、「さすが現実的」と称えるのも、どちらも早計だ。彼の「500曲やられたけどまあいい」という姿勢と、SZAの「238曲やられた、絶対に許せない」という姿勢の違いは、単なる気質の差ではない。その背後にある「自分の音楽がAIにどう扱われるか」という問題に、どれだけコントロール感を持てているかの差でもある。

AI音楽を作る側の人も、聴く側の人も、「誰がそのポジションを持てているか」を考えながらこの議論を追ってほしい。リテラシーで乗り越えられる問題と、リテラシーでは埋められない構造の問題は、別のものだ。


ソース