
AI音楽という新しい文化
AI音楽は、技術ではなく文化として観察すべき現象になりつつある。聴き手が次々に作り手になり始めた今、コミュニティの内側で生まれている熱狂を外側に届けるためにこの媒体を立ち上げる、その理由と立場について。
AIによって音楽が作れるようになった。
こう書くと、単に新しい音楽制作ツールが登場しただけのようにも聞こえる。しかし今実際に起きていることは、もう少し大きな変化として捉えるべきだろう。
SNSでは日々新しい楽曲が投稿され、人々が感想を語り合い、MVを作り、ラジオを配信し、リスニングパーティーやバーチャルライブ・フェスのようなものまで自然発生的に生まれている。
まだまだ局所的ではあるものの、この盛り上がりは単に「AIで音楽が作れるようになった」という点だけでは説明しきれない。
むしろ今起きているのは、音楽との関係性そのものの変化なのではないか。
僕自身、もともと音楽業界の人間ではない。
コンサルティングの領域からキャリアをスタートさせ、その後起業して、20年近くB2Bの世界で仕事をしてきた。
ここ数年は生成AIに強く惹かれ、本業のコンサルティングや開発だけでなく、画像、動画、執筆、そして音楽まで、さまざまな領域でAIを使い倒している。
その中でも、AI音楽の周辺で起こっている現象には、少し独特な熱量を感じていた。
その熱量に触れるうちに、自分にもできることがあるのではないかという思いから、AI音楽サイト「Rezonate」を立ち上げるに至った。
聴くと作るの境界
もともと、音楽の楽しみ方はさまざまだ。聴く、演奏する、作る。しかし、音楽制作や楽器の演奏には技術や機材、知識、練習、そして時には一定の覚悟が必要だった。多くの人にとって音楽=聴くものだったのは、聴くと作るの間にいくつもの参入障壁があるからだ。
しかし今はその状況が少しずつ変わり始めている。
「こんな曲が聴きたい」と思った人が、自分で好みの曲を作れるようになった。
ここで重要なのは、単に制作コストが下がったことではない。今までは聴き手だった人たちが、次々に作り手になり始めたことだ。
その結果、単に楽曲数が増えただけではなく、多種多様な価値観や感性が一気に流れ込み始めた。ジャンルの境界を軽々と飛び越えるような音楽。ミームやインターネット文化と地続きの楽曲。個人の趣味や世界観が強く反映された作品。あるいは、既存の音楽理論や制作技術を土台にしながら、AIによって新しい表現を模索する試み。
AI音楽シーンでは、そうした多種多様な表現が日々大量に生まれている。それは、より多くの人が表現に参加できるようになった、新しい音楽文化の風景だ。
創作なのか、自動生成なのか
もちろん、この領域にはさまざまな議論がある。
「それは本当に創作なのか」「作曲と呼べるのか」「AI音楽に価値はあるのか」── そうした問いは、これからも続いていくだろう。AIによって音楽制作のあり方が大きく変化している以上、こうした議論が生まれるのは自然なことだと思う。
その上で僕自身は、AI音楽を単なる自動生成された音声データだとは考えていない。そこには、試行錯誤があり、選択があり、意図があり、作り手ごとの美意識が存在している。人間が担う役割は変わったのかもしれないが、表現そのものが消えたわけではない。
僕が否定しないもの
AI音楽についての議論が荒れやすいのは、「何かを認めると、何かを否定したことになる」という恐怖が両側にあるからだと思う。だから僕が否定しないものを、ここで先にはっきり言っておきたい。
既存の音楽シーンの価値を、僕は否定しない。何年も何十年も費やして技術と表現を磨いてきたミュージシャンたちの仕事が、AIの登場によって軽く見られるようになるとしたら、それはおかしい。特に、新しい技術が出るたびに「◯◯終了」と雑に煽るような言説が、僕は心底嫌いだ(笑)。
著作権をめぐる議論も、否定しない。AIの学習データに何が使われているのか、それに対してクリエイターは適切に扱われているのか。これは未解決の問いだし、現状の多くのAI音楽ツールが完全にクリアな立場にいるとは言えない。この問いを「古い業界の抵抗」と一蹴するのは間違っている。
慎重論も、否定しない。新しい技術が社会に与える影響を丁寧に考えようとする立場は、テクノロジー推進派が思う以上に重要な役割を果たす。急ぎすぎることで失われるものが、確かに存在する。
これらは全部、合理的な問いだ。この媒体では、これらの問いにもちゃんと向き合っていきたい。
僕が否定されたくないもの
では逆に、僕が否定してほしくないものについても触れておこう。
AIを使って音楽を作っている人たちが、「音楽を作っている」という事実を否定されること。その表現が、生身の人間の創造性と無関係だと断定されること。AIで作った楽曲を「音楽と呼ぶな」という言説。これらに対しては、僕ははっきりと「ノー」という立場を取る。
ツールが変わることで、音楽の定義が変わることはない。電子楽器が登場したとき、サンプリングが登場したとき、DAWが登場したとき、そのたびに「これは本物の音楽か」という問いが起きた。そして音楽は、その問いを乗り越えながら広がってきた。AIも同じ文脈にある、と僕は信じている。
もちろん、AIが生成する音楽には、現時点での限界もある。人間の演奏にしかない何かが、まだ欠けている場合もあるだろう。でも「だからAI音楽は音楽ではない」という結論にはならない。限界があることと、文化的価値がないことは、イコールではない。
Rezonate Magazineは、この一線を守る媒体でありたい。AI音楽そのものへの否定的な言説に対しては、きちんと反論する。それはプロパガンダではなく、基本的なポジションだ。
内側の熱狂を、外側へ
今のAI音楽シーンには、また別の課題もある。
それは、コミュニティの中では盛り上がっていても、その熱狂や文脈が外側まで届きにくいことだ。
どんなアーティストがいて、どんなイベントがあり、どんな音楽が生まれているのか。どこから入ればいいのか。何が面白いのか。── そうした文脈を共有する場所が、まだほとんど存在していない。
だから僕は、この「Rezonate Magazine」というメディアを立ち上げることにした。Rezonate が AI 音楽を発表する場であるなら、Rezonate Magazine はそれをコミュニティの外側に届けるメディアにしたい。この2つは互いに補完関係にある、両輪だ。
AI音楽に関するニュースやイベント情報、新しいツール、アーティスト紹介、Rezonateで生まれている楽曲やランキング、HowTo記事、そしてこの文化そのものについての考察まで、幅広く扱っていきたいと思っている。もちろん、AI音楽に対する批判や違和感にも真摯に耳を傾けたいと思っている。
未完成だから、一緒に作りたい
この媒体は、まだ未完成だ。というか、始まってすらいない。体制も、スタイルも、デザインも、コンテンツも、コミュニティも、これから作っていく。とても一人でできるとも思っていない。
だから、一緒に作ってくれる仲間を探したいと思っている。
具体的に探しているのは、こういう人たち。
編集パートナー ── 記事の企画や編集方針について一緒に考えてくれる人。AI音楽に限らず、音楽全般・テクノロジー・文化批評に関心がある人。
寄稿者・コミュニティライター ── 自分の視点で書きたい人。ライターとしてのキャリアより、「これを言いたい」という熱量を重視したい。DTMer、音楽プロデューサー、ヘビーリスナー、著作権に詳しい人、ぜんぶ歓迎。慎重派の立場から書きたい人も、ぜひ。
デザイナー ── ビジュアルアイデンティティを一緒に育ててくれる人。テクノロジーとカルチャーの中間にある媒体として、雰囲気を作っていきたい。
開発者 ── Rezonate や Rezonate Magazine の開発に関わってくれる人。
もちろん、Rezonate や Rezonate Magazine を単なる趣味プロジェクトで終わらせたくはない。
まだ個人で始めたばかりの小さな取り組みではあるが、しかるべきタイミングでは、メディアとしても、コミュニティとしても、きちんと継続可能な形に育てていきたいと思っている。
AI音楽を、単なるテクノロジーとしてではなく、新しく生まれつつある文化として観察する。
まだ名前の定まっていないこの熱狂を、記録し、共有し、外へ開いていく。
そのための入口のひとつに、この場所を育てていけたらと思う。